Field notes #03

「数字」ではない移民の話。絨毯の洗浄場で出会った一人の父親

 

こんにちは!スタッフのシュウです。

 

ドイツではもうすっかり秋になり、急激な気温の変化で私は少し風邪をひいてしまいましたが、皆さんは体調の方はどうでしょうか。日本ではそろそろ紅葉が色づき始める頃ですかね。日本の秋が恋しいこの頃です。

 

さて、今回のブログでは、トルコへの買い付け旅中に「いまの世界の構造」に直面する瞬間があり、少しそのことについて書きたいと思います。

 

それは、「移民」についてです。

 

現在私が暮らすドイツでは、右派政党「AfD(ドイツのための選択肢)」の台頭に象徴されるように、移民政策をめぐる政治的・社会的な緊張感がかつてないほど高まっています。私が暮らす街を見渡しても、私自身を含め実に多様なバックグラウンドを持つ人々が共存しています。そこには異文化が交差する生活の豊かさがある一方で、住宅不足や社会保障の負担、言葉や文化の壁が生む静かな分断など、「受け入れ国」としての限界や歪みが日常のすぐそばに横たわっています。

 

一方、日本はどうでしょうか。深刻な少子高齢化と労働力不足を背景に、技能実習制度の見直しや特定技能制度の拡大が進み、日本は事実上の「外国人労働者の大量受け入れ時代」へと舵を切りました。しかし、現場のインフラや日本社会の意識はまだその急速な変化に追いついておらず、共生のためのビジョンを欠いたまま「安い労働力」としてのみ外国人を扱ってしまう歪みが、各地で表面化しています。

 

制度の摩擦と社会の分断に揺れるドイツ。そして、過渡期の戸惑いの中で模索を続ける日本。

 

そうした二つの国のリアルを知る身として向かったトルコ。しかし、今回私が訪れた街はイスタンブールのような国際都市ではなかったからか、街を行き交うのはほぼトルコ人ばかりに見えました。この国には、過酷な境遇を抱えた移民の影はあまり見えないのだろうか――最初はそんな風に思っていたのです。

 

その印象がガラリと変わったのは、街から少し離れた郊外にある「絨毯の洗浄場」を訪れたときのことでした。

 

買い付けた大きな絨毯を洗い、乾かす作業場。土埃が立ち込めるその場所で、黙々と汗を流して働いている一人の従業員の男性がいました。

 

彼はアフガニスタンから移住してきたという男性でした。 タリバン政権下の混乱が続く厳しい母国の情勢から逃れるため、彼は妻とまだ幼い子どもを連れて、陸路でこのトルコの地に辿り着いたのだと言います。

 

決して恵まれているとは言えない賃金、そして朝から晩まで冷たい水と重い絨毯に耐える過酷な肉体労働。それでも彼は愚痴ひとつこぼさず、真面目に、そして静かに作業を続けていました。

 

作業の区切りに「少し休憩でもどうですか」と声をかけ、一緒に煙草を吸いながら言葉を交わしました。どこから来たのか尋ねられ、「日本から来ました」と答えると、彼は私の顔をじっと見つめ、パッと表情をほころばせました。

 

「私たちハザーラ人と、あなたたち日本人は、顔がすごく似ているよね」

 

そう言ってニコッと笑った彼の親しみこもった笑顔に、ハッとしたのを覚えています。

 

ハザーラ人はアフガニスタンの中で東アジア人に近い容姿を持つ少数民族であり、歴史的に厳しい差別や迫害にさらされてきた背景を持ちます。遠く離れたアジアンテイストの顔立ちをした私に、彼は自らのルーツと重なる「仲間」のような親近感を抱いてくれたのかもしれません。

 

ニュースやネットの議論を見ていると、「移民問題」という言葉はどこか巨大な「数字」や「政治的な理念」として消費されがちです。ドイツで噴出する排他的な世論も、日本で語られる治安への不安や人手不足の議論も、主語が大きくなりすぎて「そこにどんな人間が生きているのか」が見えなくなってしまうことがあります。

 

けれど、あの日差しが照りつける作業場で、煙草の煙をくゆらせながら私に微笑みかけてくれたのは、家族を守るために異国の地で必死に泥にまみれて働く、優しくたくましい「一人の父親」でした。

 

絨毯という存在もまた、古くから人々の移動や交易、時には戦争や避難の歴史とともに、国境を越えて手から手へと受け継がれてきたものです。

 

国境の壁を高くしようとする国、制度の限界と摩擦に苦しむ国、増え続ける避難民を受け入れながら自国もまた経済難に揺れるトルコ、そして母国を追われて異国の地で黙々と汗を流す人々。

 

一枚の絨毯を洗うアフガニスタン人の彼の手を見つめながら、私は政治のルールや境界線を超えた場所にある「生身の人間同士の繋がり」について、深く深く考えさせられていました。