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Field note #01
「近すぎるくらいが、ちょうどいい。」トルコ社会の距離感と『良い縁』の連鎖」 初めての買い付けを終えて はじめまして、こんにちは! スタッフのシュウです。 現在はドイツで暮らしていて、このたびfloの買い付け担当としてトルコへ行ってきました。 かなり内容の充実した買い付け旅行だったので、どんな旅行だったかをつらつらと思い返しながら書くのもいいかと思うのですが、今回は普段の生活や買い付け期間中に感じたひとつのことをテーマにして書いてみたいと思います。 今回のテーマは『距離感』です。 物理的な距離感というよりも心の距離感とか親密さについて。 異国で暮らしていると、ふとした瞬間にこのことについて考えることがあります。 まず、日本で育った私にとって、人との距離感とは「相手を気遣うためのもの」でした。ウチとソトを分け、言葉の行間を察し合いながら、お互いに踏み込みすぎない一定の心理的距離を保つ。それが日本らしい優しさの形です。 一方、今住んでいるドイツでは、挨拶のハグやスキンシップなど日本にいるときと比べると物理的に距離が近くなることもありますし、家族という集団の中での連帯の強さも感じます。けれど根底には強い個人主義があり、「人は人、自分は自分」。他人のプライベートには踏み込まない、どこかすっきりとしたドライな快適さがあります。 「礼儀正しい距離感」の日本と、「自立した個が尊重される」ドイツ。 どちらの心地よさも知っていた私が、今回トルコの地に足を踏み入れ、出会ったのは——そのどちらとも違う、驚くほどグッと距離の近い人々の姿でした。 それは日本でいうおもてなしの精神のようにも感じましたが、毛色が少し違うというか、そこからもう1歩踏み込んでいるというか。不思議な温もりと愛おしさを感じる『距離感』でした。 今回はいくつかエピソードを交えながら、トルコで感じたその『距離感』と、そこから生まれる『良い縁』の連鎖についてお話ししたいと思います。 トルコでの買い付け期間中、私の日常は多くの人との出会いで埋め尽くされました。 初日から最終日まで、出会うトルコ人というトルコ人が、当たり前のように私を輪の中に引き入れてくれるのです。 「チャイ(紅茶)を飲んでいきなさい」 「腹は減ったか? 昼飯を一緒に食べよう」 夜に夕食に招かれ、休む間もなく「この街を案内してあげるよ!」と、とびきりのツアーガイドまで買って出てくれる始末。 会ってからまだ数分しか経っていないはずなのに、彼らの接し方はまるで「何年も会っていなかった親戚」か「昔からの親友」のそれでした。 また印象的だった出来事があります。 買い付けの合間、街のお茶屋さんで一息ついていた時のことです。 たまたま隣の席に座った現地の人と目が合い、軽く挨拶を交わしました。するとどうでしょう。気づけば私の目の前には、彼が奢ってくれた淹れたてのチャイが置かれていたのです。 「どこから来たんだ?」「ここで何をしているんだ?」 チャイの湯気越しに会話が弾み、名前も知らなかったはずのその人と、気付けば30分以上も熱心に世間話を咲かせていました。 日本の「見知らぬ人への警戒心」や、ドイツの「他人の領域には干渉しないマナー」。そうした私が今まで当たり前だと思っていた心の防壁が、トルコの人々の前ではあっさりと解け去っていったのです。 彼らにとって、目の前の人は「他人」ではなく「まだ話していない友人」。 踏み込まれているはずなのに、不思議と図々しさは感じない。そこにあったのは、境界線など最初から存在しないかのような、包み込むような温かさでした。... 続きを読む...